Sincerely's Blog

フェミニズムについて、ゼロから学んだことのメモ。

伯父の話 3

もともと糖尿病を患っていた伯父は、脳梗塞で倒れた後、右半身不随となってしまった。独身だったため介護を出来るものもおらず、伯父は60歳にならない若さで、老人介護施設に入居することになった。

 

伯父が介護施設に入居したあと、卒寿を迎える祖母の面倒を見るために、私が祖母と同居することになった。(祖父が死んだ後、祖母と伯父とはかつて住んでいた大きな家を売り払い、小さなマンションで暮らしていた。)伯父の使っていた部屋を整理し、そこに私は起居することになった。

 

引っ越し後、伯父の部屋に入ってまず最初に驚いたのは、その本棚だった。6畳ほどの狭い部屋、片側一面が書棚で埋まっていた。それもインテリアとしてのブックシェルフではなく、大学の研究室にありそうな、スチール製の無味乾燥なものだった。本はほとんどが物理学か数学関連の専門書だった。

 

その他にはパイプベッド、木製の大きな机、そして電子工学部品がいっぱい入ったスチールの棚があるだけの、殺風景な部屋だった。かつて入った、書生部屋のような伯父の居室を思い出した。集合住宅ならではのせせこましい設計と北向きの窓が、現在の伯父の部屋をより陰鬱にしていた。

 

引っ越してしばらくの間、私は伯父の使っていたベッドを使っていた。しかし折りたたみ式パイプベッドのマットレスはへたっており、数週間後に腰が痛くてたまらなくなったので、新しいベッドを買うことにした。

ついでに、部屋にある伯父の私物一切合切を処分することに決めた。理由はうまく言えないが、部屋にいると彼の陰鬱なイメージがそのまま私に乗り移って来るようで、気分が落ち着かなかったのだ。

 

もちろん、勝手に処分するわけにもいかないので、伯父に了解をとることにした。祖母に相談すると、「私から話するわ。Sちゃんから言ったら、あの子遠慮してまうやろから」とのことだったのでお願いした。

 

「机は捨てないでくれ」

それが伯父の頼みだったと聞いた。大学に入学した時に、祖父に入学祝いで買ってもらったものなのだと言う。

それを聞いて私は胸が締め付けられるような気持ちになった。

あの机で、伯父はどれだけ勉強してきたのだろう。勉強することが自分のつとめであり、将来の幸せにつながる行為であると信じ、ひたすらそれに自分の人生を捧げた伯父。青春をすべて費やした、そのまさに勉強によって自分の人生が損なわれたというのに、まだそこに愛着を持ち、心の拠り所としている伯父を思うとやりきれなかった。

 

本棚を整理する作業も、胸に迫るものがあった。専門書の数々。数年間分にわたる応用物理の学術雑誌の山。量子論、電子工学、流体力学、素粒子物理学、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」……それらはとりもなおさず、伯父が生きて来た証だった。

 

岩波文庫のかたまりもあった。ドストエフスキー、デカルト、カント、マルクス、カフカ、福沢諭吉、夏目漱石、芥川龍之介……「戦争と平和」5巻は几帳面に順番通り並んでいた。

 

「法然と親鸞」「ブッダ」といった本もあった。鬱病を患っていた伯父が、宗教に救いを求めたのも当然かと思われた。

 

また、「子どもと行く遊び場」「すくすく子育て」などの育児関連の本があるのもなぜか悲しく思われた。おそらく、父が再婚して弟(伯父にとっては甥)が出来た時に、伯父が一生懸命弟と関わろうとして買ったのだろう。

 

それらをすべて段ボール箱に押し込みながら、伯父は何でも「勉強」する人だったのだ、と私は思った。「勉強」こそが彼が世界と関わる方法だったのだろう。自分の置かれた境遇に当惑し、解決方法を探して迷い苦しむ中で、彼が自分の信じる「勉強」という方法で出口を見つけようとした、その過程がまざまざと感じられるようで、私は息苦しくなった。

 

もちろん、今のようにインターネットがない時代、本屋に行き、その分野の本を読む事で私たちはかつて情報を手に入れていた。ただ伯父の場合、まっさらな生身の彼自身でこの世界と向き合う、そこで生まれるナマな感情を受け入れ表現する、ということがことさら苦手だったのかもしれないと思う。あるいは、本を読んで「勉強」さえすれば、このわけのわからない世界に条理をつけ、理解し、対応していけると信じていたのだろうか。

 

本棚を運び出し、スペースのあった廊下に配置した。本棚に入り切らず、もう読まないであろうと思われる本はブックオフに売った。電子部品の入ったラックは物置へ、衣類は衣裳ケースにまとめて押し入れの奥へ仕舞った。

 

部屋の照明を蛍光灯から白熱灯に変え、ラグマットと木目のベッド、そしてローテーブルを配置すると、部屋は見違えるように明るくなった。私は伯父の気配を完璧に消し去った自分に多少の後ろめたさを感じながらも、すっかり居心地のよくなった部屋に深い満足感を味わった。そしてふと思った。伯父さんは、発病してから今まで、こういう心地よさを感じたことはあったのだろうか?

 

伯父が亡くなった今も、本棚は廊下に静かに佇んでいる。