Sincerely's Blog

フェミニズムについて、ゼロから学んだことのメモ。

男女比が1:19のクラスで起こったこと

高校時代に体験したことについて書く。私はとある専門学科の生徒で、その科の生徒は3年間同じクラスだった。40人クラス中、男子はたった2人。38:2。なかなかの偏りっぷりである。そこで起こったことを、ジェンダー問題の観点から今振り返ってみると、なかなか興味深かったので書き残しておく。

 

私のいたクラスは、ニッチな専門学科の特色のせいか、異様にキャラの濃い人間が多かったせいか、いじめのようなものはなかった。趣味の似たものどうしや家の近いものどうしがゆるくグループを形成しつつ、席替えや課題でチームが分けられるたびに、違う顔ぶれの相乗効果を楽しんでいた。そして学校行事となると、クラス一丸となってやたらと燃えるかなり暑苦しいクラスだった。

しかしながら、男女比の著しい偏りはやはり無意識な性差別を助長する。私たちは仲の良いクラスだったけれど、それでも3年間を通して何度か「男子」と「女子」の問題に直面した。もうずいぶん前のことなので主だったことしか覚えていないけれど、以下のようなもの。

 

  1. 着替え問題
  • 体育の授業など着替えが必要な際、女子は教室を使い、男子は遠く離れた更衣室で着替えさせられる
  • 女子が着替え終わるまで、男子は教室に入れてもらえず、廊下で待つしかない。冬場の廊下は凍えるほど寒いが「男なんだからそれくらい我慢してよ」で黙らせる
  • 夏になると暑さに耐えかねた女子が(教室に冷房のない世代だった)、男子の目の前でスカートをパタパタさせたりブラウスの中に制汗剤を振ったりする。男子が「目のやり場に困る」と文句を言えば、「あんたたちは男じゃないから」と相手の羞恥心を意に介さない

   2.  性別役割の押し付け

  • 重いものを運ぶ時に「男子手伝ってよ!」と性別役割を期待する
  • リーダーシップを取れない、意見を主張しない、不器用など、女子の理想とする男子像に合わない男子は「イケてない」と批判される
  • 体育祭や文化祭の準備を手伝わない男子は、そうでない女子に比べてより激しく非難される。男子がリーダーシップを取るのが当たり前、という思い込みが女子の中にある
  • 2学年上の先輩(同じく男子2人のみ)がクラスの中でリーダーシップを発揮しているのを見て、「◯◯先輩たちはできてるのになんでうちの学年は…」と貶す

   3.  パワーバランスの不均衡

  • クラスで意見が分かれた際、「男子の意見はどうなの?」と、ことさらに「男子」ならではのコメントを求め、彼らの意見が決定を大きく左右する
  • 男子の意見が女子のそれよりも比重が大きく扱われることに対して、一部の女子から不満が出る
  • 文化祭などでは、「男子」が「男子であること」だけを理由に、良い役をもらったり目立つポジションにつけられたりする

当時の私は、というか私たちは、クラスの中で日々生じる諍いや不均衡に対して、うまく説明できる言葉を持たなかった。けれども、今こうして思い起こしてみると、2人の男子に多大な負担を強いていたなぁ、と思う。

 

強く印象に残っているのは、学級会で男子がつるしあげられた時のことだ。文化祭が目前に迫っていて、私たちは文化祭の目玉イベントである合唱コンクールのリハーサルに日夜励んでいたが、男子が練習にあまり出席しないことが問題視されていた。クラスの優勝がかかってるのに! 男子真面目にやってくれないひどい! というわけである。

 

「先輩たちのクラスは、男子が引っ張っていってまとまっているのに、なぜうちのクラスの男子はこんなにもやる気がないのか」

「私たちは男子のリーダーシップを必要としている。もっと引っ張っていってほしい」

女子たちは真剣に悩み、男子にもっとクラスにコミットしてくれるよう要請した。ほとんどの女子は、男子はただ気後れしているかめんどくさがっているだけで、女子からその存在を求められていることを知れば、やる気を出して頑張ってくれるだろうと期待していたのである。

 

しかし議論は意外な方向へ展開した。男子たちが反駁してきたのである。

「『男子やから』ってだけで、クラスを引っ張らなあかんのか?」

「正直、『クラスを引っ張ってほしい』って言われても、他に引っ張りたがってる人(女子)、いっぱいおるやん」

「こういう時だけ、クラスの一員扱いされるの腹立つわ」

「普段、俺らのこと無視するくせに」

「俺らのいうことなんか聞いてくれへんやんか」

そんなことない、こうして『男子の意見』を聞いてる、と言う女子に、男子がめずらしく感情的になって言った。

「都合のいい時だけ『男だから』っていうんやめてほしい」

「体育の着替えの時、前の授業が終わったらすぐ追い出されるやん? 俺らまだ廊下に出てないから待って、って言ってるのに、目の前で脱ぎ始めたりされるのほんま嫌」

おそらく、女子全員が意外に思ったと思う。男子は女子の着替え見れるのが嬉しいんじゃないの? 嫌なら見なければいい話なんじゃないの?

「見たくない。そりゃ、俺も男だから、そういうのに興味がないわけじゃないけど、それとこれとは別」

「目のやり場に困るし、そういうのを意識しなきゃいけないのが嫌」

「俺らが出て行くのをちょっと待っといてくれたらいいだけの話なのに」

「しかも俺ら、離れた更衣室までわざわざ行かなあかんのに、ちょっとくらい待てへんのかって思う」

要するに、男子は着替えの際の気まずさを聞き入れてもらえないことで、「クラスのフルメンバーとして尊重され、仲間に入れてもらっている」という感覚をずっと持てないでいたのである。

男子を非難していた女子は沈黙し、学級会は気まずい雰囲気につつまれた。

 

そこに、とある運動部のエースだった女子が発言した。彼女もほとんど応援合戦の練習には出れていなかったが、全国大会常連の彼女の不在を咎めるものはクラスにはいなかった。

「実は私も、部活の練習が厳しくて、文化祭の練習にあまり出れてないのを、申し訳なく思ってた。みんなは私が『運動部のエースだから』って何も言わずに受け入れてくれてるけれど、自分の都合を優先してクラスをないがしろにしているのは、私も男子も同じ。それなのに、男子だけを責めるのはフェアじゃないし、私もみんなに謝りたい」

部活で結果を出している彼女と、サボっているだけの男子とは次元が違うのではという意見もあったが、運動部の彼女は「クラスより自分の好きなことを優先しているという点では、私も男子も一緒」と譲らなかった。

 

男子を非難していた女子は「ごめん、そんなに嫌な思いをさせてるってわからなかった」と謝った。男子の1人は泣き出し、つられてクラスの半数以上が泣き出した(何かというとみんな泣く、つくづく暑苦しいクラスであった)。男子たちは涙ながらに言った。

「何をやっても『男子、男子』って言われるのしんどくなる時がある」

「数が違いすぎるから、正直みんな何考えてるかわからんくて、怖いねんて」

「みんなが、先輩の男子のことカッコいい、って言ってるのも知ってる。俺やって、あんなふうになれたらいいなって思う。けど、男子やからって、みんながみんなあんなふうに人を引っ張る才能があるわけじゃない」

 

「ごめんな、俺らあんなイケメンちゃうから! イケメンなりたいけど!」

最後の一言でクラスは爆笑に包まれたが、 今思い返せば、彼ら2人は本当に辛抱強く、頑張ってくれていたんだなぁと思う。

 

結局、その話し合いを通して、私たちのクラスには新しいルールができた。

<男子が教室を出たことを確認してから着替え始めること。その際男子を必要以上に急かさないこと>

<着替え終わったら、すぐに廊下の男子に声をかけて教室に入れてあげること>

<クラス単位での練習には、できるかぎり参加すること。無理な人には、放課後や休憩時間を利用して教えてあげること>

<嫌なことがあったら、言いにくくても我慢しないこと。風通しの良いクラスになる!>

 

その年の合唱コンクールでは、残念ながら2位に終わった。

しかし翌年の文化祭では男子もやる気を出して学年優勝、そしてその後の体育祭では、総合優勝と、数々の伝説を打ち立てて行ったのである(…というのは多少盛った表現だが、クラスの結束力とパフォーマンスのレベルはどんどん高まって行った)。

 

3年間何度も話し合いを繰り返し、卒業時にはクラス全員がお互いの個性を認め合い、その人をまるごと受け止めて愛せるような関係になっていた。退学者が多い学校だったにも関わらず40人全員が揃って卒業できたことを、私は誇らしく思っている。男子2人のことは友達として大切に思っているし、卒業して20年近く経った今もLINEで気軽にやりとりできる関係を維持している(…と思っているのは私だけ、という可能性もあるが)。

 

ちなみに卒業後知ったことだが、マイノリティ男子たちには彼らたちなりのネットワークがあり、男子更衣室で女子の文句を言っては、先輩・後輩で結束を固めて「クラスで女子にどう対処するか」というサバイバルスキルが連綿と伝授されていたそうである。

 

 

しかし、16歳の少年少女に解決できた問題が、今の日本ではどうして解決できないのだろう?