Sincerely's Blog

フェミニズムについて、ゼロから学んだことのメモ。

なぜフェミニズムって語りにくいんだろう

インターネットでの、特に日本におけるジェンダー論争を見ていると、なんだか頭がくらくらして厭世観が漂ってくる。

 

いや、わかる、わかるよ。男女とも不公平なこといっぱいあるし、おかしいと思うことには声をあげるべきだし、強い言葉でないと伝わらないこともあると思う。

 

けどさ、なんていうかあまりにも…非建設的だなぁという印象を受ける。相手をあげつらったりたたきのめしたりしないと気が済まないのか、男女とも。なぜこうなってしまうのだろう? と考えてみた。自分が何かについて発言するときのチェックリストとして。

 

  1. フェミニストのイメージがよくない。フェミニストは「モテない女のひがみ」「ヒステリー」「ミサンドリー」というネガティブなイメージで叩かれることが多い。なぜかというと、実際にそういう側面も否定できないからだと思う。男性優位社会で優遇されるのは男性にウケの良い要素(美人、若い、従順など)を持った女性だ。結果として、そうではない(モテない)女性は不満を抱くことになる。そしてその不満を論理的に述べても「かわいくない」「黙れ」と抑圧されるので、強い言葉や力を使わないと声を聞いてもらえない。そこで、一瞬でも注目してもらうためには、叫ぶしかなくなってくる。それがヒステリックに聞こえてしまうとしても。そして、自分を否定し傷つけ続けてきた対象を憎まずにいられるような聖人は、そうそういやしない。
  2. ネット上では、画面の向こうにどんな人がいるのかわからないから、仮想敵をつくりやすい。自分が今まで接してきた男性/女性のいちばん嫌なイメージの合体バージョンを想定してしまう。(いつも思うけれど、文章上での印象と実際に会った時の印象は滅多に合致しない。私は以前書いた文章を読んでくれた人から、「すごく綺麗な心の持ち主だと思いました」と褒めてもらってものすごく申し訳ない気持ちになったことがある。)
  3. ジェンダー論を語るとき、どうしてもセックスにまつわる個人的な体験に基づいて話しがちだ。そして、私たちが生涯に取得できるサンプル数はそれほど多くない。多くの人は結婚も子育てもせいぜい2回くらいしかしないし、家族以外の異性と付き合って相手を深く理解する機会は人生に3,4回あればいいほうだ。性差別も、性犯罪も、セクハラも、一度や二度であれば我慢してやり過ごしてしまうか、自分に非があるのだと思い込んでしまう。
  4. 大多数の日本人は、ジェンダーについて論理的に建設的に語り合う言葉や方法を知らない。あえて主語を大きくとったけれど、私が受けてきた、中学での性教育は生物学的な知識の伝達にとどまっていたし、高校での倫理の授業は歴史と公民を合わせたような内容だった。どちらも1990年代の公立校だ。今の世代は少し違うのだろうか? 受験に直結しない科目が、クラスで活発にディスカッションされるような環境が整っているとは想像しづらい。
  5. いざジェンダー論を学ぼうと思っても、気軽にジェンダー論を包括的に説明してくれている本やDVDが…無い。出発点になるようなニュートラルな教科書。新書とか専門書ではなく、もっとカジュアルに5~15分くらいでアホにもわかりやすく説明してくれるような入門ガイドがあればいいのに、と思う。"Feminism for Dummies"みたいな(日本でいう「やる夫で学ぶ」的な)。でもタイトルに「バカでもわかる」とか入れちゃうと日本では売れないのだろうか。ピンクのカバーとかつけちゃうのかもしれない。うーん。

こうして見てみると、1から5までが見事な負のスパイラルになっているなぁと思う。フェミニストの皆様、お疲れ様です、と言いたい(これが小学生並の感想、っていうやつか)。

 

幸か不幸か、私は現在無職なので、のんびりと自分のペースで自分の思うことを書いていこうと思う。のんびりアクティビスト。

 

フェミニストをゼロから学ぶにあたって、私が借りてきた本については、

sincerely.hatenablog.com

で書こうと思う。